人気俳優として活躍する志尊淳さん。
その爽やかな笑顔と演技力で多くのファンを魅了していますが、実は波乱万丈な学生時代を送っていたことをご存知でしょうか?
今回は、志尊淳さんの学歴に焦点を当て、小学校から高校卒業までの軌跡をたどります。
特に注目すべきは、聖学院高校を中退し、日出高校へ転入するまでの経緯と、彼の「とことんやる」精神です。
この記事では、志尊淳さんの小学校から高校卒業までの学歴と、学生時代の芸能界入りのきっかけになったエピソードを詳しくご紹介します。
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志尊淳の学歴:小学校から中学校時代

まずは、小学校と中学校時代を見ていきましょう。
小学校:足立区内の公立小学校(栗島小学校との推測あり)
インターネット上では東京都足立区立栗島小学校という情報がありますが、本人による正式な公表はありません。
この頃の志尊淳さんはとても活発で、いたずら好きな一面も。
母親が何度も学校に呼び出されるほど、元気いっぱいだったそうです。
「小学校の頃なんですけど、手に負えないくらいいたずらっ子で。母親も毎日呼び出されて」
「好きな女の子にすぐちょっかい出してた。意地悪するタイプ」
出典:モデルプレス
そして、小学生の頃から、志尊淳さんの「とことんやる」精神が芽生えていたようです。
親の勧めで剣道を始めましたが、本当は野球がやりたかった志尊淳さん。
しかし、途中で投げ出すのは嫌だったため、剣道の大会で優勝してから野球に専念することを決意しました。
小学生の頃、親が「武道を通じて礼儀を学んでほしい」ということで、剣道をやることになったんです。(中略)本来、好きだった野球にしぼりたいと思ったんですけど、途中で剣道を投げ出すのもイヤなので、ちゃんと結果を出してから野球に専念しようと。なので、剣道に区切りをつけるために稽古に打ち込み、大会で優勝してから野球一本にしたんです。
出典:Yahoo!ニュース
子どもながらに、ブレない意志を持っていたようです。
中学校:私立聖学院中学校
中学校は、私立聖学院中学校に進学しました。
外出自粛要請の中、本校で学んだ俳優の志尊淳さんとミュージシャンの宮崎歩さんが、「きぼうのあしおと」という曲を制作してくださいました。
出典:学校法人聖学院
この学校は、東京都北区にあるプロテスタント系の中高一貫校で、英語教育に力を入れていることで知られています。
当初は野球部に没頭し、学年300人中180位程度だった志尊淳さん。
成績も学年300人中180位程度だったそうです
しかし、何度もテストを重ねるうちに、「上位に行ってやろう」とスイッチが入り、1年間で学年7位にまで成績を上げたと語っています。
生徒の中でも「上位のヤツって、やっぱりスゴイよな」みたいな空気が出てくる。(中略)僕の中で、そこで勝手に自分の全てを評価されているような感覚になって、それがおもしろくないなと。なので、だったら、順位を上げようと思って、1年間で7位までは上げました。
出典:Yahoo!ニュース
この経験も、志尊淳さんの「とことんやる」精神の表れと言えるでしょう。
そして、中学3年の夏休み―
友人と待ち合わせをしていた池袋のサンシャイン付近で、人生を変える芸能事務所のスカウトに遭遇します。
その日から意識が一変。
「もっとスカウトされたい」と思い、毎日走って体を絞るように。
最終的には18キロの減量にも成功し、外見にも磨きがかかっていきました。
「中学三年生のときなんですけど、2ヵ月で18キロ痩せたことがある」
出典:クランクイン!!
小中学生時代のエピソードからも伝わるように、志尊淳さんは“やると決めたら最後までやり抜く”タイプ。
そんな強い意志が、今の俳優・志尊淳を支えているのかもしれません。
志尊淳の学歴:聖学院高校での学生生活と退学の理由

中学からの内部進学で、志尊淳さんは聖学院高等学校に進学しました。
聖学院高校は完全中高一貫校で、高校からの募集はありません。
高校でも野球部に所属していましたが、部活を引退したタイミングで芸能界への興味が高まります。
そんな中、読者モデルの活動を始めた志尊淳さんは、ワタナベエンターテインメントスクールのオーディションを紹介され、「無料だし一回行ってみよう」と軽い気持ちで応募。
すると、学費免除の特待生として合格し、本格的に役者への道を歩み始めました。
ワタナベエンターテイメントスクール(WES)の特待生としてレッスンを受けられることになって。当時は部活も辞めていたし、習い事もやってなかったから、やってみようかなと思って、飛び込んでみた結果、のめり込みました
出典:Deview
2011年、在学中に受けたオーディションで、ミュージカル『テニスの王子様2ndシーズン』の出演が決定。
演技・ダンス・アクロバットすべて未経験ながらも努力を重ね、見事に舞台を成功させました。
一方で、芸能活動と学業の両立は難しくなり、高校3年時に聖学院高校を退学。
このとき、志尊淳さんは家出を決行し、家族との連絡も絶って独立します。
そこには、「自分の力で生きてみたい」という、強い自立心がありました。
自分の進路を自ら選び取り、周囲の期待や常識に流されずに決断を下せる志尊淳さんの強さは、この頃からすでに際立っていたのかもしれません。
志尊淳の学歴:日出高校への転入と卒業までの道のり

聖学院高校を退学後、志尊淳さんは2013年4月に日出高等学校(現・目黒日本大学高等学校)通信制課程に編入します。
日出高校は芸能コースがあり、多くの芸能人が在籍していることで知られています。
芸能活動との両立がしやすいこの学校で、翌2014年3月に無事卒業します。
ちなみに、元AKB48の川栄李奈さんと同級生だったことも話題になりました。
この間に出演した『烈車戦隊トッキュウジャー』で初のテレビドラマ主演を果たし、一気にブレイク。
高校卒業後は、大学へは進学せず、俳優業一本で勝負する道を選びました。
通信制での学びと芸能活動を両立させながら、しっかりと高校を卒業した姿からは、どんな環境でも自分の道を切り開こうとする志尊さんの覚悟と責任感が伝わってきます。
しかし、通信制に転学した裏には、芸能界での活動とともに、家族との関係に悩んだ高校時代の家出という大きな出来事もありました。
芸能界での葛藤やプレッシャーから衝突が増え、「自立しなければ」と覚悟を決めたそうです。
『テニミュ』への出演が発表されると、兄や姉は「“志尊”って、あなたの弟?」と聞かれたりしていたそうで、ストレスもあったと思います。けんかになることが増えてしまって……。
それで自立しなきゃと、自ら退路を断ったんです。住民票も移して、1年間は家族との連絡を一切絶ちました。
出典:婦人公論
その後、家族と再会したときには、兄から殴られ、姉には「二度と帰ってくるな」と言われ、母と祖母は大号泣。
それでも「自分で決めたことだから」と、学費も生活費も自分でまかないながら2年間生活を続けたそうです。
今はこの経験があってよかったと心から思っています。2年間、バイトをしながら学費や生活費を工面したことで家族の偉大さもわかりましたし、自分も成長できましたから。
当時を振り返るこの言葉には、当時の孤独や葛藤、そしてそれを乗り越えた確かな想いがにじみ出ています。
困難な状況でも逃げずに自分の道を選び抜いた姿からは、若くして深い覚悟と成長を遂げた志尊淳さんの芯の強さが垣間見えた気がします。
まとめ:志尊淳の学歴が彼の俳優人生に与えた影響
志尊淳さんの学歴をまとめると、以下のようになります。
- 小学校:足立区立栗島小学校(推定)
- 中学校:私立聖学院中学校
- 高校:聖学院高等学校(中退)→ 日出高等学校通信制課程(卒業)
学生時代は決して順調な道のりではなく、転学や家出など、幾度もの大きな決断を重ねてきました。
しかし、そうした経験すべてが、今の志尊淳さんを形づくっているのは間違いありません。
とくに「やると決めたらやり抜く」という信念は、小学生時代の剣道から、中学での成績向上、芸能活動との両立、俳優デビュー後の猛練習まで一貫しています。
家族との距離を自ら選び、自立の道を突き進んだ高校時代のエピソードも、彼の芯の強さを物語っています。
さらに2021年には、突発性気胸を患い、入院・療養を経験。
命に関わる病気を乗り越えたことで、「命の大切さ」や「支えてくれる人の存在の大きさ」にも改めて気づけたと語っていました。
この経験もまた、志尊淳さんを一段と人間的に深く成長させたに違いありません。
そして現在、志尊淳さんはさまざまな作品に出演し、着実に俳優としてのキャリアを重ねています。
これからも、どんな困難にも正面から向き合い、自分の道を切り開いていく姿に、ますます注目していきたいですね。
それでは、ありがとうございました!
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