バドミントン界のスーパースター、桃田賢斗選手。
その輝かしい実績の裏には、数々の困難や波乱がありました。
日本バドミントン界のエースとして世界のトップに立ちながらも、数々の試練に見舞われてきた桃田賢斗選手の競技人生は、まさに波乱万丈でした。
2024年には日本代表を引退するも、選手としての活動を継続し、次なるステージへと歩み出しています。
今回は、桃田賢斗選手が経験した主な出来事を振り返り、競技人生における転機を探ります。
桃田賢斗は何した?①違法賭博問題とその影響

2016年4月7日、桃田賢斗選手は違法カジノでの賭博行為が発覚し、大きな騒動となりました。
この事件により、無期限の出場停止処分を受け、同年開催のリオデジャネイロ五輪の出場も逃すという大きな代償を払いました。
当時、世界ランキング2位という輝かしい地位にあった桃田賢斗選手にとって、この処分は大きな打撃となりました。
しかし、この挫折を機に桃田賢斗選手は大きく変化します。
謹慎中は「もう競技を続けられないかもしれない」と覚悟を決め、基礎体力の向上に励み、心技体ともに成長。
16年4月に処分を受けた後、「試合に出られない分、世界のトップと戦うにはフィジカルが劣っていたらダメだ」と考えた。試合続きの代表生活から離れたこともあり、かねてから課題としていたフィジカル強化に取り組んだ。
出典:産経新聞
桃田賢斗選手は後に、「本当に自分が変わらなければいけないと思った出来事」と語っています。
あれがなかったら世界ランク1位になったり、世界選手権で優勝したりすることはできなかったんじゃないかと思っています。
出典:Number Web
復帰後は、さらに強い選手として世界の舞台に戻ってきました。
2017年5月31日、日本ランキングサーキット大会で優勝し、涙を流しながらコートに倒れ込んだ姿は、今なお多くのファンの記憶に残っています。
違法賭博という事実そのものはもちろん重い出来事ですが、桃田賢斗選手はそれを「自分の甘さが招いた結果」と正面から受け止めていて、そこにまず誠実さを感じます。
そして、ただ技術を取り戻すだけではなく、世間やチーム、関係者の信頼回復など、目に見えない壁を乗り越える努力は計り知れないものだったでしょう。
涙の復帰戦は、桃田賢斗選手本人にとっても周りにとっても、忘れられない瞬間だったでしょうね。
桃田賢斗は何した?②福島由紀選手との密会事件の真相

2018年10月、女子バドミントン・福島由紀選手との“深夜密会”が報道され、再び注目を浴びます。
合宿地でのこの出来事は、日本バドミントン協会から注意を受ける事態に。
桃田賢斗選手は取材に応じ、公に謝罪しています。
お騒がせして申し訳ないです。軽率な行動で周りの方にまた迷惑をかけてしまった。反省して、生活行動に気をつけていきたいです。自分が表現できるのはそこ(プレー)でしかない。プレーで示していきたい
出典:日刊スポーツ
当時は、桃田賢斗選手と福島由紀選手の交際が噂されましたが、関係性について詳細は明らかにされていません。
当時、2人は“話をしていただけ”と釈明し、交際は認めなかったものの、実際にはつきあっていたといわれています。しかし、関係者から半ば強制的に別れさせられ、10月にこの件が“合宿夜這い”として報じられたときには、まったく連絡を取らなくなっていた
出典:NEWSポストセブン
また、のちに復縁説も浮上しましたが、本人や所属先からの公表や確証はなく、現在はそれぞれのキャリアを歩んでいます。
この件に関しては、交際自体に問題はなかったと思いますが、合宿中という立場での行動が、協会やメディアから問題視され、選手としての“けじめ”を問われることになったのでしょう。
トップアスリートということで、行動にも常に責任がついて回るのは致し方ないかもしれませんね。
桃田賢斗は何した?③交通事故による大けがと復帰への道のり

2020年1月、マレーシア遠征中に桃田賢斗選手は交通事故に遭遇します。
バドミントンの男子シングルス、世界ランク1位の桃田賢斗選手が13日、マレーシアで交通事故に巻き込まれ、顔面などを負傷した。
出典:ロイター
この事故で運転手が死亡し、桃田賢斗選手自身も全身打撲や右眼窩底骨折などの重傷を負いました。
この怪我の影響は深刻で、復帰後しばらくは視覚障害に悩まされ、東京五輪ではまさかの2回戦敗退。
しかし、桃田賢斗選手は、「応援してくれる人たちの言葉でまた頑張ろうと思えた」と、バドミントンを再開するきっかけを語っています。
桃田賢斗選手は懸命なリハビリを続け、基礎体力の強化や筋トレに注力。
「感覚が悪いならフィジカルで補うしかないなっていう。ひたすら走って、ひたすら筋トレしてましたね」と前向きだった
出典:Leminoニュース
この経験について、桃田賢斗選手は「事故の時も本当にいろいろな人にサポートしてもらったからこそ、苦しいことも乗り越えられた」と振り返っています。
越えられない試練は与えないじゃないですけど、なんとかこの事故も乗り越えて、復活したいなっていう、そういう気持ちはありましたね
出典:Leminoニュース
同時に、過去の違法賭博で経験した挫折が自分を強くしたとも語っています。
挫折を味わっていない時の自分だったら、事故に遭った時点でもうダメかなと思っていたかもしれません。
出典:Number Web
これは、単なる反省ではなくて「人としての成長の証」だと感じます。
あの違法賭博の一件は、当時の桃田賢斗選手にとって“キャリアの終わり”すら覚悟させるような衝撃だったはず。
だからこそ、自分と向き合って、「変わらなければ」と本気で思い、その時間があったから、2020年の大けがという新たな壁にも、逃げずに立ち向かえたのではないかと思います。
復帰戦となった、2020年12月の全日本総合選手権では、桃田賢斗選手は見事優勝し、3連覇を達成しました。
「常に不安と緊張を強いられた」という中、重傷を負ったあの交通事故からの、まさに「見事な復活劇」でした!
挫折を乗り越えた桃田賢斗の現在と今後

2024年4月、日本代表からの引退を発表。
体力と心のギャップにより「世界の舞台で戦い続けるのは難しい」と判断したといいます。
2024年11月には、一部報道で現役引退の記事が出ましたが、すぐさま本人がSNSで否定しました。
世界ランキング1位で、4月に代表引退を発表した桃田賢斗(30)=NTT東日本=が、今季限りで競技者としても区切りを付けることが分かった。
出典:デイリースポーツ
桃田賢斗選手は現在、競技活動と並行して次世代育成にも力を入れており、各地でバドミントン教室を開催するなど、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいます。
新たな軸となる目標を掲げることができたのは、NTT東日本バドミントン部の須賀隆弘監督(当時)の教えによるもの。
「結果よりも、応援される選手、愛される選手になりたい」という目標だ。 気持ちの変化をもたらしたのは、NTT東日本バドミントン部の須賀隆弘監督(当時)の教えによるものだった。(中略)バドミントンができるのは当たり前のことではない。つねに周りの人への感謝の気持ちを忘れてはいけない。
出典:Number Web
これまでの経験を糧に、今後どのような活躍を見せてくれるのか、多くのファンが注目しています。
2025年の今も選手登録を継続しながら、「新たな目標」を胸に歩み続けています。
まとめ
桃田賢斗選手の競技人生は、栄光と挫折の連続でした。
違法賭博問題、密会報道、交通事故など、多くのスキャンダルや困難に直面してきた桃田賢斗選手。
しかし、そのたびに立ち上がり、結果を出してきた姿はまさにアスリートの鑑です。
競技にとどまらず、指導者としての顔も見せ始めた桃田賢斗選手は、バドミントン界の“次のステージ”を見据えています。
過去の挫折を糧に、これからも多くの人に希望と勇気を与えてくれることでしょう。
今後も桃田賢斗選手の活躍から目が離せません。
桃田賢斗選手の競技人生がさらにどのような展開を見せるのか、見守っていきたいですね。
それでは、ありがとうございました!
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