犬飼貴丈の親はどんな人?父の失踪と母の名言で変わった人生とは?

犬飼貴丈アイキャッチ

その整った顔立ちと確かな演技力で注目を集める俳優・犬飼貴丈さん

2024年にはドラマや映画への出演に加えて、最近では熱愛報道も話題になり、気になる俳優のひとりです。

そんな中、「犬飼貴丈さんって、どんな家庭で育ったの?」「ご両親はどんな人?」と気になっている方も多いのではないでしょうか?

この記事では、犬飼貴丈さんのご家族、とくに父母との関係や育った環境について、これまでご本人が明かしてきたインタビューなどをもとに詳しくご紹介します。 

目次

犬飼貴丈の父親は失踪?幼少期の壮絶な体験

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犬飼貴丈さんは1994年6月13日生まれ。

父親・母親ともに一般人のため、多くは語られていませんが、犬飼貴丈さんは父親について衝撃の告白をしています。

彼の家庭に大きな出来事が起きたのは、なんと4歳のときのこと。

父親が突然、フィリピンパブで知り合った女性に夢中になり、その女性と一緒に国外へ旅立ってしまったというのです。

しかもそのとき、大量のインスタントラーメンを抱えて家を出たという、思わず二度見してしまうようなエピソードまで明かされています。

四歳、父親がフィリピンパブにハマる。

父親はそのままそのフィリピンパブの女性と共に大量のカップラーメンを携え国外に逃亡。

自身はそのまま幼稚園留年。

出典:Youtube『THE 犬飼』

この頃、幼稚園を留年(?)するほど生活は大きく揺れ動いたといいます。

そして、当初は父親は養育費を送っていたようですが、犬飼貴丈さんが12歳の頃から突然その送金もストップ。

その後、犬飼貴丈さんと母親は、母方の実家がある徳島県へと引っ越し

環境を大きく変えて新たな生活が始まります。

このように、まさに「普通の子ども時代」とは言えなかった犬飼貴丈さんの幼少期。

しかし彼は、大人になった今、当時をこう振り返っています。

小6の時、母親の実家がある徳島県に引っ越しをしたんです。そこからめちゃくちゃ楽しくて、考え方も生き方も、もちろん遊ぶ場所も全てが変わったんですよね。僕は本当に田舎が合ってたんだなって、今思い返しても感じるぐらい、全てがポジティブな方向に変わってくれました。間違いなく、僕の一番の転機は徳島に引っ越したことですね

出典:THE CHANGE

どんなに大変な状況でも、自分の人生を前向きに捉え直せる犬飼貴丈さんの強さと柔軟さに、思わず胸を打たれますね。

壮絶ともいえる幼少期の体験を「転機だった」とポジティブに語れるのは、犬飼貴丈さんがご自身の力で前に進んできた証でもありますが、やはり母や祖母の存在があってこそだと思います。

母と祖母の支えで育った青春時代

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徳島での生活では、母親と、母方の祖母が大きな支えとなりました。

たとえば、部活で帰宅が遅くなる犬飼さんのために、祖母は毎晩、鍋料理を用意してくれていたそうです。

中学の時、帰りが遅い僕のために、おばあちゃんが毎晩ご飯を用意してくれたんです。(中略)簡単で栄養もあるし、食べ盛りだからいっぱい食べられて満足だし、とてもありがたかったですね。

出典:テレ東プラス

また、焼き魚の真ん中の身を「味見」と言って祖母が食べてしまうたびに、子どもながらに「端っこ食べてよ!」と文句を言っていたという、なんとも微笑ましい思い出も語られています。

焼き魚の身がいちばん分厚くておいしい真ん中の部分を、毎回必ず祖母がつまみ食いするんですよ。(中略)本人は味見だ~とか火加減が~って言うんですけど、何十年も魚を焼いてきてるんだから、味見もなにもないでしょ! って。食べるならせめて端っこにしてよ! って。いつも喧嘩してました(笑)。

出典:with

祖母との食卓の記憶は、ずっと心に残り続けているようですね。

そんな犬飼貴丈さんですが、高校時代には少し道を外れていた時期もありました。

陸上部に入ったものの、夏が終わる頃に退部。

その後は「ひたすら遊ぶ」日々に突入し、成績は偏差値2まで落ち込んだといいます。

十五歳、やり場のない感情や有り余る若さを大人や社会にぶつけて生を実感してた。めっちゃダサい。
十七歳、アホアホタイム。
十八歳、遊びまくった結果、進学も就職も厳しくなり……

出典:Youtube『THE 犬飼』

「十代という時間はずっと続くものだと勘違いしてた」と振り返るように、本人も当時の自分を少し自嘲気味に語っています。

そんな中、高校卒業前後の進路に悩んでいた犬飼貴丈さんに、母がかけたひと言が転機になりました。

このとき母親の名言
「あんた顔だけは良く産んであげてるんやから」が生まれる。
そして無事ジュノンボーイになる。

出典:Youtube『THE 犬飼』

母親の言葉に背中を押されて、犬飼貴丈さんは2012年に「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に応募。

13,816人の中からグランプリに輝き、芸能界への一歩を踏み出しました。

母親の前向きな一言が、俳優・犬飼貴丈の原点だったとも言えるでしょう。

その後、犬飼貴丈さんは『仮面ライダービルド』でブレイク。

当時を振り返るInstagram投稿で、「この頃に特別な力を授かる」「絶望を経てヒーロー活動に勤しむ」といったコメントを添えており、自身の半生をユーモアたっぷりに表現しています。

祖母が食事を支えていた背景には、母親が生活のために懸命に働いていた日々があったのかもしれません。

女手ひとつで息子を育てながらも、冗談交じりに励ます強さに、母の深い愛情がにじんでいますね。

母の推しが10年越しに実を結ぶ

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犬飼貴丈さんは現在、東京を拠点に多忙な芸能生活を送っていますが、今も母親との関係は良好です。

2018年、地元・徳島で行われた舞台挨拶に登壇した際には、母が最前列に座っていたことを明かし、照れ笑いを浮かべる場面も。

母が最前列で見ていたので、目を合わせないように頑張りました」と苦笑い。

出典:スポーツ報知

母の存在が、どこかで犬飼貴丈さんを優しく見守っているように感じさせるエピソードです。

さらに2023年2月、犬飼貴丈さんはテレビ番組『朝だ!生です旅サラダ』にゲスト出演。

共演者の神田正輝さんから「お母さんが“旅サラダに出てほしい”って言ってた?」と聞かれると、犬飼貴丈さんはこう明かしました。

「10年ほど前だと思うんですけど僕、地元が徳島県で旅サラダさんでロケに行かれた時があったと思うんですけど」とし「その時に母親がスタッフさんと話す機会があったみたいで、『ウチの息子をぜひ旅サラダに出してくれ』、と」

出典:スポーツ報知

この言葉にスタジオは笑いに包まれ、向井亜紀さんも「お母さん見てる~!」と笑顔で手を振る場面も。

犬飼貴丈さんは「今、見てくれているし、電話もしました。母親のおかげでここにいられる」と語り、感謝の気持ちをストレートに表現しました。

そしてカメラに向かって、こんなメッセージも。

「10年前は種をまいていただき、無事、花が咲きました。ありがとうございます」

出典:スポーツ報知

母親の“推し”が10年越しに叶った瞬間。

犬飼貴丈さんの謙虚さと、母親との深い絆が垣間見える、心温まるエピソードです。

10年前に母親が蒔いた“親心の種”が、こうして立派に花を咲かせたと思うと、思わず胸が熱くなりますね。

まとめ

犬飼貴丈さんの父親は、幼少期に家庭を離れた後、音信不通となり、母親は女手ひとつで犬飼貴丈さんを育ててきました

そんな母を支えたのが、母方の祖母。

日々の生活をともに送り、犬飼貴丈さんにとって大きな存在となったのがこのふたりの女性でした。

犬飼貴丈さんのこれまでの歩みには、波乱万丈な幼少期や、進路に迷った高校時代など、決して平坦ではない過去があります。

祖母の毎晩の鍋料理、母のちょっと笑えるけれど真っ直ぐな励ましの言葉、そして10年越しに実現したテレビ出演。

どれもが、犬飼貴丈さんの人柄や強さ、そして優しさを形づくっているように感じられます。

今こうして俳優として活躍している裏には、見えないところで支え続けてくれた家族の存在があった――

そのことを、犬飼貴丈さん自身も深く理解し、感謝しているからこそ、私たちの心にもまっすぐに届くのでしょう。

これからも、犬飼貴丈さんのさらなる飛躍と、注目が集まる熱愛の行方にも目が離せませんね。

それでは、ありがとうございました!

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