お笑いコンビ「男性ブランコ」のツッコミ担当として人気を集める、浦井のりひろさん。
独特なユーモアと表現力はどこから生まれたのでしょうか?
そのルーツをたどると、彼の大学生活にたどり着きます。
浦井のりひろさんの大学時代は、芸人としての成長に大きな影響を与えた重要な時期でした。
今回は、浦井のりひろさんの大学生活、学びの内容、そして相方との運命的な出会いについて詳しく解説していきます。
浦井のりひろの大学はどこ?

浦井のりひろさんが進学したのは、滋賀県立大学です。
滋賀県立大学は、1995年に設立された比較的新しい公立大学で、滋賀県彦根市に位置しています。

住所:滋賀県彦根市八坂町2500
浦井のりひろさんは、2010年に滋賀県立大学の工学部機械システム工学科に入学し、その後中退しています。
浦井のりひろ(左)は主にツッコミ担当。2010年、滋賀県立大学工学部機械システム工学科中退。
出典:AREA.dot
工学部では、熱力学や機械力学といった専門的な工学知識を学ぶ環境が整っており、将来のエンジニア育成にも力を入れています。
卒業後は、大学院に進学したり、エンジニアとして企業に就職する方が多いようです。
卒業後は、大学院に進学して先端的な研究に取り組んだり、就職担当の丁寧な指導によって優良製造企業を中心に就職したりしています。
出典:滋賀県立大学
浦井のりひろさんもここで理論と実践の両方を学び、論理的思考力や創造性を育んでいたといえるでしょう。
とはいえ、浦井のりひろさんの大学生活は「机上の学問」だけにとどまりませんでした。
浦井のりひろの大学生活:滋賀県立大学での学び

工学部での学びは、一見するとお笑いとは無関係に思えます。
しかし、この経験は浦井のりひろさんの芸人としてのキャリアにも大きな影響を与えているのかもしれません。
直接的ではないにしても、ネタ作りや構成に活かされている論理的思考力や創造力、舞台上でのトラブル対応に役立つ問題解決能力など、大学での学びにより向上している可能性もあります。
浦井のりひろさんは後に大学を中退することになりますが、この期間に得た知識や経験は、彼のお笑いスタイルを形成する上で重要な役割を果たしました。
特に、浦井のりひろさんは、在学中に演劇やアカペラといった芸術系の活動にも大きくのめり込んでいきます。
中でも、興味を強く引いたのが「演劇サークル」です。
もともと人前で何かをすることがすきだったという、浦井のりひろさん。
「演じる」こと自体は、小学生の頃から選んでいました。
出典:FRAU
演劇サークルでは、ラーメンズに代表されるようなシュールで知的なコントに魅せられ、自らも表現者としての道を意識し始めます。
演劇サークルで浦井や、他の友人や先輩たちとコントもやったりしていて、演劇サークルなのにコントのほうが盛り上がっていました。
出典:FRAU
大学の勉強よりも演劇サークルに夢中になった結果、単位不足のため1年生で留年。
浦:1年生前期で留年確定です(笑)
出典:吉本漫才劇場 note
芸人の道に進む覚悟を決めて親を説得し、最終的には大学4年生で中退するという決断に至りました。
僕の場合は大学に通っていなくて。ラーメンズさんを見てからどんどんそういう道に進みたいと思い始めて、大学4年の頃、コンビニでバイトしている時に、店に誰もいなくなって1人でぼーっと考えて、「頼む。芸の道にいかせてください」って願ったんです。(中略)で、「ああ、じゃあコンビ組んで入ろうか」と。「平井くんと一緒にコンビ組んでNSCにいく」って、親も説得して。
出典:FRAU
滋賀県立大学での生活は笑いの基盤を築くと同時に、人生の選択を迫られる時期でもありました。
浦井のりひろさんにとって、大学4年生のまさにこの時が、人生の岐路だったんだと伝わってきます。
人生ってどこで何が始まるかわからない、そんなドラマを感じますね。
学生時代の活動:相方・平井まさあきとの出会い

浦井のりひろさんの大学生活で最も重要な出来事の一つが、演劇サークルやアカペラ活動、そして相方の平井まさあきさんとの出会いです。
まず最初に、演劇サークルに入りますが、向いていないと諦め、友人に誘われ、同志社大学のアカペラサークルに参加したそうです。
最初は役者をやりたいと思って演劇サークルに入って、「こりゃ無理だ。自分には向いていない」と1年弱でやめました。次に、友人のアカペラサークルやバンドをはじめて。
出典:FRAU
演劇サークルでの演技力の向上や表現力の磨きに加え、アカペラサークルでは、表現の幅を広げ、リズム感やタイミングの重要性を学ぶ機会となりました。
そして、大学生活のなかでも特に大きな転機となったのが、平井まさあきさんとの出会いです。
この出会いは、浦井のりひろさんの人生を大きく変えることになりました。
平井まさあきさんは、滋賀大学に通っていましたが、合同の演劇サークルで出会いました。
お互いにお笑いやコントの大ファンだったという共通点があり、すぐに意気投合。
自然とコントを一緒に演じるようになり、次第に「コンビとしてやっていけるのでは」と感じるようになったのです。
浦:僕は行くって決めてて、平井を誘おうと思ってたんですよ。誘おうと思ったんですけど、もう平井が内定決まってて、それは無理やなって思って1人で行こうと思ってたんです。
出典:吉本漫才劇場 note
当時、平井まさあきさんは就職が決まっていましたが、就職したらNSCに入るのはもう無理だと思い、浦井のりひろさんに想いを伝えたところ、お互いに同じ気持ちだったことが判明。
平:それでも芸人やりたいなってなったんで、その内定のもらった会社にも正直に「芸人やろうと思ってます」って、断り入れました。断ってから、浦井に報告したんです!
(中略)
浦:ほんまにびっくりしたんです!誘おうと思ってた人が、急にNSC行くって言い出したから。
出典:吉本漫才劇場 note
これがきっかけとなり、後に「男性ブランコ」というコンビが誕生することになります。
浦井のりひろさんとしては、平井まさあきさんは就職決まっていたので一人でNSCに行く覚悟をして、一方の平井まさあきさんは悩んだ末に、就職先を断ってから浦井のりひろさんに報告したということです。
実は両想いだったという、胸熱なエピソードですね!
このサークルでの交流をきっかけに、二人はNSC(吉本総合芸能学院)大阪校の33期生として入学。
2010年に「男性ブランコ」として正式にコンビを結成します。
ちなみにコンビ名の由来は、ネタ合わせをしていた公園でブランコに乗っていたことから。
吉本のお笑い養成所に入る前にコンビ名を決めようと公園に集まりました。そのときに2人でブランコに乗りながら考えていて、「おや、男性がブランコに乗ってる」という紛れもない事実に気付き、これをそのまま名前にしようとなり、男性ブランコに決まりました。
出典:ぴあ
「男性ブランコ」という、なんかよくわからないけどクセになるネーミングにするセンスは、さすがコント職人コンビ!
売れっ子になって、テレビにたくさん出ても、「男性ブランコ」という名前を聞くだけで、あの公園で二人並んでブランコに座っていた情景がよみがえり、原点に立ち返れるお守りみたいで素敵だと思います。
初心の気持ち、迷った時の覚悟、その全部がその名前に詰まってる気がしますよね。
まとめ
浦井のりひろさんは、滋賀県立大学の工学部機械システム工学科に進学しました。
大学生活は、まさに人生のターニングポイントでした。
滋賀県立大学で学んだ工学的思考や創造力、演劇サークルで育んだ表現力、そして相方・平井まさあきさんとの出会い。
これらすべてが、現在の男性ブランコとしての活動に直結しています。
大学時代の出会いがなければ、今日の浦井のりひろさんの姿はなかったかもしれません。
たとえ大学を中退するという選択を迫られたとしても、そこで得た経験や人間関係が、浦井のりひろさんの人生を豊かにし、今の成功へとつながっているのです。
浦井のりひろさんにとって、滋賀県立大学は「学びの場」であり、「夢への入口」でもあったのでしょう。
今後も、独自の笑いを生み出し続ける浦井のりひろさんの活躍に、ますます注目が集まること間違いなしですね!
それでは、ありがとうございました!
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