GENERATIONS from EXILE TRIBEのメンバーとして活躍する佐野玲於(さの れお)さん。
パフォーマンス力の高さはもちろん、繊細でまっすぐな人柄にも惹かれるファンが多いですよね。
今回は、そんな佐野玲於さんの生い立ちや母親との絆エピソードについて深掘りしていきます!
母子家庭で育った佐野玲於の幼少期とは?

結論から言うと、佐野玲於さんは母子家庭で育っています。
1996年1月8日、佐野玲於さんは愛知県蒲郡市で生まれました。
生まれてまもなく東京へ引っ越し、幼少期は環境の変化が多い生活だったといいます。
両親が離婚したのは彼がまだ幼い頃のこと。
生活の基盤が整うまでのあいだ、4歳で再び愛知県へ戻り、祖母の家で過ごしていたそうです。
そして小学2年生の頃、母親が迎えに来てくれたことで再び東京へ。
そこからは、母子生活支援施設で約4年間暮らす生活が始まります。
幼少期から引っ越しや転校が多く、生まれてすぐに東京へ。4歳で再び愛知県に戻ります。
出典:テレ東プラス
その後、小学2年生の頃に母親と再会。
東京に戻り、母子生活支援施設で約4年間暮らすことになります。
当時の間取りは、「6畳1間とキッチン込みの部屋がもう1間と玄関」くらい。「楽しい思い出はない」「結構生活は切り詰めていて、10万円そこらで暮らしていた」と、佐野は明かした。
出典:ABC magazine
生活は決して楽ではなく、卒業アルバムすら買えなかったことが心残りだと語っていたエピソードも印象的です。
「(当時)お金がなくて卒業アルバムを買えないってヤバいですよね」
出典:ABC magazine
また、東京に転校した当初は、周囲との感覚の違いに戸惑いもあり、登校しても保健室に直行していたこともあったとのこと。
幼いなりに、戸惑いや寂しさ、いろんな感情を抱えながら過ごしていたのかもしれませんね。
それでも、この時期の経験があったからこそ、後に表現者としての感性や芯の強さが育まれていったのではないでしょうか。
ダンスとの出会いと母の支えで広がった世界

そんな苦しい生活の中で、佐野玲於さんの人生を大きく動かすダンスとの出会いがありました。
ダンスとの出会いは8歳のとき
田舎暮らしから東京に引っ越した佐野玲於さんが、人生を大きく変える“ダンス”と出会ったのは8歳のときでした。
きっかけは、駅前で見かけたストリートパフォーマーたちの姿。
駅前で練習しているダンサーやストリートパフォーマーを見かけたことがキッカケで、8歳でダンススクールに入校。
出典:テレ東プラス
「周りの子がやってないことをやりたい」という思いから、HIP HOPのレッスンに通い始めました。
そこで出会ったのが、日本最高峰のKRUMPアーティスト集団“Twiggz”のJUNさんです。
9歳で人生初のパフォーマンスを経験。
まだダンスを始めて半年ほどの頃の映像では、メンバーから「あの玲於でも、最初はこんなに動けなかったんだ!」と驚きの声が上がっていました。
それでも佐野玲於さんは、「人前で踊ることの楽しさ」に目覚めていったそうです。
ダンサーのお兄さんたちはみんな優しくて、ダンスで人とつながれる。大人に混ざることにワクワクした
出典:テレ東プラス
ここが、佐野玲於さんの“ダンスの原点”だったんですね。
母の工夫と支えがダンスの原点に
経済的に厳しい母子家庭だったため、ダンススクールに通わせるのも簡単ではありませんでした。
それでも母親は、あらゆる手段で佐野玲於さんを支えていたそうです。
- 激安スポーツ用品店でレッスン用の服を揃える
- 師匠・JUNさんからお古のシューズやウェアを譲ってもらう
学校ではうまくなじめなかった玲於さんが、ダンスに夢中になる姿を見て、母として何よりうれしかったのではないでしょうか。
そしてJUNさんのスタジオに通い続ける中で、佐野玲於さんのダンスはどんどん磨かれていきました。
KRUMPとの出会いと才能の開花
10歳の頃には、JUNさんが新宿・歌舞伎町にオープンしたダンススタジオで本格的にレッスンを受けるように。
そこでは、後のEXILE TRIBEメンバーたちと自然な形でつながりが生まれていきます。
場所は新宿歌舞伎町のど真ん中で、佐野もレッスンに通い、新宿に入り浸るようになります。そのスタジオにはAKIRAやTATSUYAも訪れ、小林直己とも出会いました。
出典:テレ東プラス
その後、ダンスのドキュメンタリー映画『RIZE』を観て強く影響を受けたことがきっかけで、伝説のKRUMPチーム「RAG POUND」に所属。
なんと11歳でクラブイベントに出演し、観客を沸かせるパフォーマンスを披露するまでに成長していました。
EXPGとの出会いと、未来への一歩
11歳でEXPG東京校に特待生としてスカウトされるも、当初は「芸能の世界」に興味がなく一度は辞退。
中学生になって再びスカウトを受けた際には、現実的なメリットも後押しし、入校を決意。
KRUMP以外のダンスに興味を持っていたこともあり、「特待生は月謝が免除だし、入る価値があるのでは」と考えが変わったそう。
出典:テレ東プラス
EXPGでは、すでに面識のあった小林直己さんが校長を務めていたこともあり、自然な流れでその後の進路が開かれていきました。
ダンスを支えた母と共にたどり着いた場所
高校1年生のとき、EXPG内オーディションを経てGENERATIONSの候補メンバーに選出。
インタビューでは、オーディションのときの葛藤を振り返っています。
オーディションは自分が高1になりたての時で、やっぱ家庭もひとり親で裕福じゃなくて自分もバイトしなきゃいけなかった。学校にも行ってバイトして時間がない中で、このグループに入れなかったら、しばらく(新たなグループ誕生は)ないだろうと考えたとき、ダンスを教える道もあるのかなと頭に浮かびました。
出典:スポーツ報知
そして2012年11月、正式にメンバーとしてメジャーデビュー。
それは、裕福ではなかった家庭環境の中でも、夢を諦めずに歩み続けた先にあった大きな節目だったのかもしれません。
このように、佐野玲於さんのダンス人生は、幼い頃からの努力と、どんなときも支えてくれた母の存在によって築かれてきたもの。
「楽しい」と感じたダンスとの出会いと、そこに寄り添ってくれた母の想いが、今の彼の原点なのだと感じますね。
母との現在の関係は?ほっこりエピソード満載

苦労を共にしてきた母と息子という関係性だけでなく、佐野玲於さんと母親は、まるで“親友”のような距離感でつながっているようです。
「母にも第2の人生を楽しんでほしい」モニタリングでの本音
2020年に出演したTBSの『モニタリング』では、自身が母子家庭で育ったことに触れながら、
「親が新しい人と、とかっていうのはすごく気持ちが分かるというか、寂しい思いして欲しくないし」
「親も自分を20年育ててくれたので、親の第2の人生も楽しくあってほしい」
出典:TALENTBANK
と、母を思う気持ちを率直に語っていました。
そしてその直後には、
「って思ってたりとかしたんですけど、『登坂くん紹介して』とか言ってくる親なので…」
出典:TALENTBANK
と、オチをつけて笑いに変える佐野玲於さんらしい一言も。
笑いと優しさが同居する“母想い”の人柄がにじみ出るシーンでした。
「私の宝物は息子が作ったコインケース」ラジオに届いた母からのメール
2021年10月6日、文化放送『佐野玲於の水曜CultureZ』にて、もはや常連リスナーの母から番組宛に写真付きメールが届くというサプライズも!
「私の宝物は息子が作ったコインケースです」
コインケースに「将来ダイヤモンドを買ってあげるね」と言いながらストーンの装飾をした
出典:文化放送
というメッセージに、佐野玲於さんは照れながらも、
「そんなことを言ってない俺」と反論しつつも「ダイヤどころか毎年くそたっけぇバッグ買ってるよ!!」
出典:文化放送
と笑いながらツッコミ。
親子の仲の良さと“照れ屋な優しさ”が自然ににじみ出るエピソードに、リスナーもほっこりしたはずです。
八木勇征の誕生日を“レオママ”が祝福!
2024年5月には、GENERATIONSのメンバー・八木勇征さんがXで誕生日を報告。
その投稿で、自分の母と佐野玲於さんの母にお祝いをしてもらったと明かしました。
写真には3人がソファに並んで写っており、ファンからは「ママたちも仲良しで可愛い」と反響が寄せられました。
本人不在でも“ママ同士”が仲良しって、なんだか素敵すぎますよね。
メンバーの母たちと自然につながる姿からも、親子のオープンで温かい関係性が垣間見えます。
たくさんの困難を乗り越えたからこそ、今はこうして笑い合える関係が築けているのかもしれません。
強くて温かい“お母さんとの絆”は、佐野玲於さんの魅力そのもの。
これからも、そんな彼の言葉やパフォーマンスから、その絆がにじみ出てくる瞬間を見守りたいですね。
まとめ
佐野玲於さんの母子家庭での生い立ちを振り返ると、決して平坦ではなかった道のりの中に、たしかな親子の絆がありました。
- 幼少期は母子生活支援施設で暮らし、卒業アルバムすら買えないほどの経済状況に
- それでも母の工夫と応援で出会えた「ダンス」が、彼の人生を動かした
- 今も“親友”のように笑い合える、あたたかな母子関係
幼いながらにさまざまな感情を抱えながら過ごした過去も、佐野玲於さんにしかない表現力や芯の強さにつながっているように感じます。
そして、どんなときも隣で支えてくれた母への思いが、彼の人柄の根っこをつくっているのかもしれません。
これからも、佐野玲於さんの活躍の裏側にある「家族との絆」にも注目して応援していきたいですね。
それでは、ありがとうございました!
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